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ヘアメイクアップアーティストが歩んだ歴史と道のり

資生堂には現在、約40名のヘアメイクアップアーティスト(HMA)が在籍しています。自社内にこれだけ多くのアーティストを擁する化粧品メーカーは世界的にも稀で、国内では資生堂だけです。なぜこのような独自の仕組みが生まれたのか、まずはその歴史をご紹介しましょう。

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― HMAの始まり

資生堂は1953年に高度な美容技術の研究や、資生堂チェインストア(化粧品店)向けの美容講習を行うことを目的に、「資生堂美容研究所」を設立しました。「資生堂美容研究所」はのちに「資生堂美容技術研究所」と名を改め、美容技術の研究に特化した施設となりました。さらに「資生堂総合美容研究所」「ビューティーサイエンス研究所」「ビューティークリエイションセンター」などと名前を変えながら、今日に至ります。

STORY:02

― 美と技術の追求

このように、資生堂は半世紀以上も前から化粧品を開発・製造するだけではなく、使用法と表現の研究を続けてきたのです。そしてその成果を、ポスターやCMなどの宣伝広告や『花椿』誌、店頭活動テキストなどで発揮してきました。その中核的役割を果たしてきたのが美容技術者たち、今日のHMAです。

STORY:03

― アーティストの育成

一方、資生堂は「資生堂美容研究所」設立の6年後、1959年に「資生堂美容学校」を開校し、美容技術者の養成にも乗り出しました。さらに1986年には美容の大学院ともいえる「SABFA」を開設、最高水準の美容技術の追求に着手しました。資生堂は日本にまだHMAという言葉がなかった時代から、高度な技術と感性を持ったアーティストの育成を続けてきたといえるでしょう。

STORY:04

― 美容のプロフェッショナル集団の誕生

この美容学校、SABFAの卒業生が資生堂に入社するようになり、次第に美容のプロフェッショナル集団としての陣容が厚みを増していきました。その一方で1977年には、パリの若手デザイナー6名を日本に招聘して本格的なファッションショー「6人のパリ」をプロデュースしました。これが縁となり、パリコレクションにHMAを派遣しバックステージでヘアメイクを行うようになり、以来40年以上にわたり、パリコレでの活動を続けています。今日ではニューヨーク、東京コレクションにもHMAを派遣しています。

― 技術と感性を駆使した美の創造

現在ビューティークリエイションセンターに所属する約40名のHMAたちは、資生堂の宣伝広告、パリコレなどのファッションショー、美容でのショーやセミナー、またこれらの活動を通じて出会ったモデルやタレント、ファッションデザイナーやクリエイターから依頼された仕事など、幅広いフィールドで高度な美容技術と感性を駆使した美の創造を行っています。近年では現代美術や伝統芸能など、ジャンルを越境してクリエーションを行うアーティストも現れ、ますます活動の幅が広がっています。